「車イスマークの駐車場」とキャンペーンの意味
「車イスマークの駐車場」とキャンペーンの意味
バリアフリーって言葉、実はあんまり好きじゃない。
だって、いつも思うの。
バリアがあるから、なくさなきゃって言う考えだから。
どんなに法律とかで決められて、世の中の設備が整ったって、
人のハートがなきゃ障害者も、健常者も、生きていけない。
たとえばね、なにか落とし物をするでしょ。
指輪、ケータイ、お金、コンタクト…
すると、助けを求めるじゃない?
道ゆく人、係員、警察って。
自分にバリアがあるからこそ、
よけいに人や社会とのバリアがある。
高くなって行く気がする。
「助けて」が言えないとよけいに。
人のハートって、助けを求めた人の印象で揺さぶられるでしょ。
そして『あっ』て気付く。
でも、今の日本は残念ながら「助けて」を言える人が少なくて、
受け止める機会が少ない。
だからこんなキャンペーンが始まったと思うの…
車いすマークを知っていますか?そこにハートがくっついたら?
車いすマークのついた駐車場。この意味を知っていますか?
この駐車スペースは身体の不自由な人が車を乗り降りのしやすいように、
広さや駐車場への出入りのし易さ、駐車場内での移動のし易さなどが配慮された駐車スペースです。
障害者と一概に言うのもいやなんだけど、これについて議論があるの。
「運転をしてる障害者のため」と「障害車が運転してようが一緒にのってようが、誰が使ってもいいじゃない」
だけどその前に、どう見てもピンピンしてる人や、車を傷つけられたくないと高級車を乗ってる人のりよう割合が非常に多い。
でもこの問題って、駐車スペースが利用したい場所の側にあるから。みんな近くに止めたいから。だから起きてしまう。
もう一度ここいらで、なぜこのスペースが必要なのか考えなくては、
バリアフリーからユニバーサルデザインの社会には変わらないだろう。
だって”知らない”から困っている人がいることも”わからない”んだもの。
このスペースは誰が必要なの?
車いすのためにスペースが必要な人、お腹の大きな人、
そしてまれだとは思うけど、あゆのように立てたとしても膝が曲がらないから、
十分にドアを開かないと出れない人。
こんな感じの人が、一番スペースを使う駐車にしたい。
足腰が弱い人は対象になる?
介助が必要だったりしたら、スペースは必要じゃないかしら。
あとは歩行のためになにか使用している人にも。
だけど、そうでないのなら近い場所が確保されてるだけで、優しいんじゃない?
本当に必要な人は誰だと思う?